現在の先進国の政策や芸能で急速に広がっている概念に「political correctness」(政治的妥当性)があり、社会の特定のグループに不快感を与えない様な表現方法が求められていて、例えば人種や性的性向、体型、民族的価値観などに配慮されます。
日本でも近年女性の看護師の方の事を看護婦と呼ぶのを取りやめるなど性中立性を推し進めたり、先住民の方や身体障がい者の方の蔑称を使わなくなるなどしています。
ただ米国で行われているポリコレはやや行き過ぎた面があり経済にもダメージを与え始めているので、今回は極端なポリコレの悪影響について考えていきます。
米国のポリコレ
米国では映画等の映像作品にポリコレで扱われる多くの要素を詰め込む傾向があり、例えば映画に大柄で黒人の同性愛者のキャラクターを登場させる事で多くの方に配慮しています。
また衣服のモデルも以前の様に痩せ型のモデルは減り、プラスサイズのモデルを採用する企業が増えてきました。
ただ複数の要素に配慮するケースが増えた結果、多様性を重視した作品で登場できるキャラクターの選択肢が極端に狭まってしまうという本末転倒な事態に繋がってしまいました。
悪影響①原作改悪による収益低下
歴史のある映像作品をリメイクする時に米国でよく行われるのが、登場人物の人種や性的性向を変更するパターンです。
元々マイノリティの方に焦点を当てた作品であれば気にならないですが、そういう要素がない原作を改編してまでポリコレ的要素をねじ込む事でストーリーや恋愛相手が全く変わってしまうので最早別作品になってしまいます。
こういった事を繰り返すとコンテンツの人気が落ちたり制作会社のイメージ低下に繋がり、グッズ販売や放映権料の低下、スポンサーの不信感を招きます。
悪影響②ポリコレが義務になる
マイノリティの方に配慮して作品を作る会社が増えるとポリコレを取り入れていない会社の肩身は狭くなり、圧力に屈してポリコレを取り入れるようになります。
結果的に時代背景を無視してその場所に存在し得ない人種が登場したり、美麗なグラフィックでどこまでも広がるオープンワールドのゲームにもポリコレが意識されたキャラクターが頻繁に登場する様になりました。
配慮するべき属性のリストを見比べながら足りない要素を持つキャラクターを追加していくのは逆に不健全なので、今後は色々なキャラクターが登場する事を祈りたいですね。
悪影響③全員のイメージが下がる
映画やゲームに無理やりねじ込まれたポリコレに配慮されたキャラクターが増えると、マイノリティの方は何も悪くないのに一般の視聴者から見た印象が悪くなる懸念があります。
多様性を尊重するために作られた作品によって多様性に否定的な人が増えるのは好ましくないので、作品を作る方は色々なバランスを考える必要がありそうです。
近い将来にはポリコレ色が強い作品もそうでない作品も、制作者が自身の作りたい作品を自由に作れる様になると良いですね。
まとめ
多様性に配慮するというのは重要な概念ですが、人類が多様性に向き合って間もないので特に米国ではポリコレの考え方があまり上手くいってない印象があり、様々なキャラクターを持った方が上手く共存するには暫く時間がかかりそうです。
特に娯楽作品では登場人物にポリコレにより採用された感のあるキャラクターが配置されるケースが目立ち、多様性に配慮した事で作品の多様性が失われています。
現在の娯楽作品の制作環境はかなり苦しいかもしれませんが、徐々に人々が多様性を理解できる環境になる事を祈りたいですね。